北の富士さんが死去82歳:千代の富士、北勝海の両横綱を育成 相撲界への貢献

北の富士さんが死去82歳:千代の富士、北勝海の両横綱を育成 相撲界への貢献

北の富士勝昭のサムネイル
北の富士 勝昭(きたふじ かつあき、1942年3月28日 – 2024年11月12日)は、北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属した大相撲力士。第52代横綱。本名は竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)。得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。…
107キロバイト (16,837 語) – 2024年11月20日 (水) 16:47

(出典 元横綱北の富士氏、昨年末に心臓手術 自宅で静養、初場所のNHK解説外れる/スポーツ/デイリースポーツ online)
元横綱・北の富士さんの訃報は、多くの相撲ファンにとって大きな驚きと悲しみをもたらしました。彼が育てた千代の富士や北勝海の名横綱たちは、相撲界の歴史をものがたります。彼の温かい指導と、それに裏打ちされた厳しい言葉は、弟子たちだけでなく多くのファンにも愛されました。

1 鉄チーズ烏 ★ :2024/11/20(水) 22:57:58.22 ID:pe1ie0N69

11/20(水) 22:31配信 日刊スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/472e4c360b7c9f69a58fdbd17fcd8349381521dd

 角界のご意見番だった元横綱北の富士氏が逝った。NHK相撲解説者の北の富士(本名・竹沢)勝昭氏が亡くなったことが20日までに分かった。82歳だった。72年初場所後に52代横綱に昇進して通算10度優勝。引退後は千代の富士、北勝海(現八角理事長)の両横綱らを育てた。協会幹部として期待されたが早期退職で解説者に転身し、歯に衣(きぬ)着せぬ論評で人気があった。12月、東京の九重部屋でお別れの会が開かれる予定。

 昨年春場所からNHKの解説を「休場」していたが、7月の名古屋場所で、約1年半ぶりにVTR出演。「皆さまお久しぶりです」と元気にあいさつし、場所の展望を語っていた。解説の復帰も間近と思われただけに、突然の死にショックは広がった。

 細身だったが現役の横綱だった千代の山(九重親方)にスカウトされ、中学卒業と同時に出羽海部屋に入門した。細身で新弟子検査は1度不合格も57年初場所で初土俵を踏んだ・幕下も当時の解雇制度ぎりぎり昇進と苦労した。それでも必死に体を大きくし、稽古にも励んで順調に出世。66年名古屋場所後に大関、70年初場所後に盟友だった玉の海と同時に横綱昇進した。

 人気者プリンスの貴乃花とは好勝負を演じた。物言い続きの因縁の勝負では日本中の敵役になった。北玉時代を期待されたが、玉の海が急逝してショックで低迷。73年名古屋場所で連敗するとあっさり引退した。

 74年9月に井筒部屋として独立し、3年後に師匠が死去し、合併する形で九重部屋を継承した。弟弟子だった千代の富士をウルフと命名し、速攻相撲に変身させて横綱まで育てた。92年には千代の富士に部屋を譲った。86年からは理事に就任して審判部長、新設広報部長などを歴任。理事長候補とも言われたが、98年に高砂一門理事候補から外れるとあっさりと退職。その後は解説者として、土俵ににらみを利かせていた。

 ◆北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)本名竹沢勝昭。1942年(昭17)3月28日、北海道美幌町生まれ。同郷の元横綱千代の山の誘いで出羽海部屋から57年初場所初土俵。63年春新十両、64年初新入幕、66年名古屋場所後大関昇進。70年初場所3度目の優勝で玉の海と同時で52代横綱に昇進。優勝10回、三賞6回。現役時185センチ、135キロ。得意は左四つ、突っ張り、寄り、外掛け。74年名古屋場所で引退して井筒部屋として独立。77年に九重部屋を継承して千代の富士、北勝海らを育てる。92年に元千代の富士の陣幕親方と名跡交換して部屋を譲る。98年に退職後はNHK解説者を務めていた。

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