小児科医・伊藤瑞子が語る、娘MISIAを支えた育成法「多忙な離島医療」
小児科医・伊藤瑞子が語る、娘MISIAを支えた育成法「多忙な離島医療」
1 湛然 ★ :2024/10/20(日) 06:39:04.60 ID:+rs5ORZX9
10/19(土) 17:02 CHANTO WEB (内橋明日香)(※抜粋)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e9183b64dc0a0de1a3853b761c28117b9b22bd34
CHANTO WEB
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
■幼少期のMISIAさん「好きなことに一生懸命」
── MISIAさんがひとりでお留守番することもあったそうですね。
伊藤さん:当時、病院からすぐ近くの宿舎に住んでいたのですが、夫が不在で私が夜中に仕事があるときは、不安だろうと思って次女が眠ってから家を出ていました。ところがあるとき、次女が眠ったふりをしていることに気がつきました。あとから聞いたら「最初は早く行きたそうだからと思っていたんだけど、漫画の続きを読みたいし、見たいテレビもあったし」って(笑)。そういう楽しみがあったから私がいないことも気にならなかったそうです。子どもってたくましいんですね。私たちも3人目の次女にはゆっくり構えていたと思います。
── MISIAさんは小さいころから音楽に触れていたのですか。
伊藤さん:次女は4歳のときに「ピアノを習いたい」と言って始めました。ピアノは、上の子たちが習っていましたし、実は私も小さいころに習ったことがありました。あるとき、バイエルのCDを聞く機会があって、そこで初めて「こんなに綺麗な曲だったの」と思ったので、次女にはバイエルに始まり、ソナチネなどのCDを買ってきました。田舎に住んでいたので、音楽について協力したのはそれくらいですね。
── 曲のイメージから入るんですね。
伊藤さん:はい、次女はいわゆる耳コピがよかったのか、覚えは早かったですし、何より綺麗に弾いていました。上の2人もそうしてあげればよかったと思いましたよ。次女が家でミュージカル曲の弾き語りをしてくれて家族で楽しんでいましたし、本人もみんなに聞かせることを楽しんでいました。上の2人に対しては「とりあえず勉強をしておけば、希望する道に進める」と単純に思っていたので、塾に行きなさいとは言いませんでしたが、勉強しなさいとは言っていました。対馬に引っ越したこともあって、次女には、勉強、勉強とは言いませんでしたね。
── 歌はいつ頃から習い始めたのですか。
伊藤さん:小学2年生のころに地元の合唱団の定期演奏会に行き、その次の練習日にひとりで「入団したい」と申し込みに行ったんです。そしたら「保護者の方じゃないと申し込めません」と言われたそうで。そこから歌も始め、10歳頃には歌手になりたいと思ったようです。指導していただいた先生が音大の声楽科を出たばかりの方で、基礎的なレッスンをしてくださったとも聞きました。やりたいことを見つける前に、勉強、勉強と言って押しつぶさなくて良かったと思いました。本当に好きなことを見つけるって、時間がかかりますよね。
次女の中学卒業のタイミングで長女が大学に通っていたので、福岡でふたり暮らしをして、高校に通いながら歌のレッスン受けることになりました。その2年後に、私達も足掛け10年務めた対馬の病院を退職し、福岡に参りました。
── 見事に歌手デビューを飾りますが、小さいころからの夢を叶えられたのはなぜだと思いますか。
伊藤さん:本人は歌手になりたいという夢を叶えるために一生懸命でした。好きなことには一生懸命になれるということでしょうか。親が干渉すると子どもの自由さがだんだんなくなってきます。なんでもいいのでまず、好きなことをひとつ見つけられてよかったと思いますね。学校と勉強は好きなものを見つけるためにあってほしいと親は願いますし、好きなことを叶えるために勉強するとなったら子どもも楽しいですよね。好循環が回ると思います。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)