渡邊渚さんの告白:PTSD克服と遺書の真意とは?

渡邊渚さんの告白:PTSD克服と遺書の真意とは?

渡邊 (わたなべ なぎさ、1997年4月13日 – )は、元フジテレビジョンのアナウンサー。現在はフリーで活動している。 新潟県で生まれて小学2年生まで阿賀野市に居住する。両親と妹がいる。家の周囲は田んぼに囲まれ、庭に雉が訪れ、クマが現れるなど豊かな自然の中で、下校時は友人と田の畦道を歌い歩き、近…
38キロバイト (4,833 語) – 2024年11月17日 (日) 05:00
元フジテレビの渡邊渚さんがPTSDから回復した後、遺書を記した理由には深い感情が込められています。精神的な苦痛を乗り越えた彼女の強さと、またその経験を通して得た教訓について考えさせられる内容です。どのような思いでレポート用紙8枚分の遺書を書いたのか、是非詳細を知りたいです。

1 冬月記者 ★ :2024/11/19(火) 00:56:59.60 ID:LVyepWSv9

https://news.yahoo.co.jp/articles/1828d9dd3e19cba2f6c2b13e43f6368be8a0d940


(出典 i.imgur.com)

元フジ渡邊渚さん、PTSDから回復後の10月に遺書を記した理由「レポート用紙8枚分」

 キュートな笑顔が画面から消えたのは昨年7月だった。元フジテレビアナウンサーの渡邊渚(わたなべ・なぎさ)さん。長期療養を余儀なくされ、入院後、体の自由がきかなくなったこと、精神的に追い込まれていることなどをSNSでつづった。そして、体調が回復してきた今年8月31日に退職。

 1か月が過ぎ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていたことを初告白した。現在はフリーで活動。

 今だから言える抱えていた葛藤、この先のビジョンをENCOUNTに明かした。「闘病、退職の経緯」を語ったインタビュー前編に続き、後編では「体調回復の要因、これからの自分」などを語っている。

 渡邊さんは、9月から新たな道を歩み始めた。事務所には所属せず、我々のオフィスにも1人で訪れた。

「大変です(笑)。税金とか諸々、やることがいっぱいあって。助言をいただくこともありますが、基本は1人で全部やっています。仕事も(インスタグラム内に設けた)フォームに届いた依頼の全てに目を通し、1人で決めています」

 8月23日、同月末をもっての退職を発表。すぐに芸能事務所などから所属契約のオファーが届いたという。

「ありがたいことにオファーはたくさんありましたが、全部お断りしました。会社辞めた時に『フリーアナウンサー』の肩書で生きてこうとは思わなかったからです。自分は『アナウンサーだ』って言えるほどの経験はありませんし、どこかの事務所に所属すると、肩書がフリーアナウンサーになり、テレビに出ることを求められます。今の私はそれを望んでいないので、『1回、自分で全部やってみたい』と思いました」

 療養中は、手足が自由に動かなくなり、食事も満足にできない状態などをSNSで告白。退院後もパニック発作が起きていたというが、次第に体調は回復した。今年8月には、パリ五輪のバレーボールを現地で観戦できるようになった。

「PTSDを患う2年前にはメニエール病にもかかっていました。でも、PTSDを治していく過程でメにエール病もすっかり治りました。規則正しく、ストレスがない生活を徹底したことで夏頃には、不思議なくらいにピタッと症状が止まったんです。もう目も回らないし、耳も正常になりました」

 昨年6月、渡邊さんは「会社にも関係するトラブルの影響」でPTSDを発症した。回復傾向を感じたのは今春。治療法の「持続エクスポージャー」が効果を示したという。

「4月から徐々に元気になってきました。毎週、臨床心理士さんにところに通い、『持続エクスポージャー』を受けたことがきっかけでした。まず、自分のトラウマを言葉にし、音声にする。それによって記憶が整理されてきました。『自分は何が怖いものなのか』を見極め、それを少しずつチャレンジし、何度もトラウマに至った状況に向き合う。私はトラウマになった時に食べた物があるスーパーの売り場に行けなかったのですが、そこに行くトレーニングもしました」

「トラウマから逃げない」。渡邊さんにはそれがフィットしたという。

「かさぶたになったトラウマにばんそうこうを貼って『封印した』って思っていたのに、それをはがして消毒してきれいにしてく感じでした。正直、『痛いよ。しんどい』という感じでしたが、効果はありました。少しずつ体力が戻り、友達と外出できるようになってからは、生活に楽しみを見つけられるようになりました」

(中略)

 会社に止められ、退職まではPTSDであることは告白できなかった。

 だが、今は自分が受けた治療法も語れる。渡邊さんは「それがうれしい」と言った。精神疾患啓発活動の一環である「シルバーリボン」の活動にも関心を示し、関係者との協議を始めている。

「PTSDであることを公開した理由の1つが、PTSDの情報が少ないことです。ネットで調べても、闘病記はなかなか見当たりません。だから、『治った人はいないのか』と不安になりました。治療法はいろいろあるけど、どれを選べばいいかが分からない状況なので、『私のケースはこうだった』と伝えたいです。一例ではありますが、私自身が気軽にアクセスできる存在となり、PTSD、パニック障害などの精神疾患に関わる啓蒙活動をしていきたいです」

 闘病中は「死」もよぎったが、今は生きる喜びを感じられている。一方で、今年10月には、遺書をしたためていた。

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